八ヶ岳 むかし話

八ヶ岳は信仰の山として古くから登られている。「阿弥陀岳」「権現岳」「地藏ヶ岳」「擬宝珠岳」「薬師岳」そして「天狗岳」もまた神仙にかかわる名前が多い。この八ヶ岳は、八つの峰が集まって八ヶ岳が数えられる山、あるいは八百万(やおおろず)の神といわれるようにたくさんの山があることからが名前の由来とも言われている。各山麓の地域ごとに八つの峰が数えられる山、宗教的には蓮華の八花辨から八つだとも言われる。 正保2(1645)年に作成された信濃の国の絵図に、八ヶ岳、と山名が記されているので、古くからそう呼ばれてきたようだ。
八ヶ岳を望む諏訪盆地は、御柱という7年に1度行われるお祭りがある。御柱は、八ヶ岳のふもとから大きな木を皆で切り、曳き、諏訪大社に建てるお祭りである。
山と森を大事に守り尊び、山から流れる清流で人々は営む暮らしをはるか昔から受け継いできた。そんな八ヶ岳は、地元に住む子供たちも知る面白い話が今でも語り継がれている。

八ヶ岳と富士山

むかしむかし、おおむかし、八ケ岳がまだ活火山だった頃のお話にさかのぼります。その頃は、富士山も活火山で煙をあげていました。富士山の神様は「木花柵耶姫(このはなさくやひめ)」、八ケ岳の神様は「磐長姫(いわながひめ)」、いつもこの神様は、お互いの自分が一番高いとお互いにいっていました。
ある日の事です。 富士山の神様が八ケ岳の神様に向かい、「わたしのほうがあなたより高いのよ」と言い八ケ岳の神様は「わたしのほうが高いわよ!」と、喧嘩になりはじめました。 その結果、見かねていた如来様が、この喧嘩をいいかげんやめさせようと思い、「水裁判をしてやろう」との事になり八ケ岳の峰から富士山の峰まで長い樋をかけ、そこに水を流したそうです。 すると、水は八ケ岳から富士山へと流れ、八ケ岳のほうが高いという事に決まったのです。
ところがプライドの高い富士山の神様はこの結果にはどうしても承知ができなく、怒ってしまって思わず八ケ岳を蹴飛ばしてしまいました。 すると、天地も揺らぐほどに大音響と共に、八ケ岳は8つに裂けてしまいました。
それで、八ケ岳は現在の形となり、富士山よりも低くなってしまったのでした。 このお話は、八ケ岳の裾野に住む私達の間で古くから言い伝えられているお話として有名です。 実際の高さは、 蓼科山2530m、天狗岳2645mとなっています。

おしまい


八ヶ岳の昔から現代へ

八ヶ岳の山麓は奥深く広く、この広い山麓に住みついた人々の歴史も古い。
北八ヶ岳には国内最大といわれる黒曜石の産出地であり、この黒曜石は縄文時代の狩猟民族の生活に欠かせない石器の材料として使われていた。
縄文時代は八ヶ岳の西南麓一帯は日本でももっともさかえた地として知られ、尖石遺跡なといくつかは国の特別史跡跡に指定されている。縄文時代も季節の変化にもよったが、前5000年から1000年にもおよんで集落が営まれ、大型化していった。
古い時代から活発な文化の中心地であり先土器時代には縄文文化の大繁栄期をつくりあげた。そして弥生時代の古代において八ヶ岳山麓の諏訪の平らは、政治的、文化的に位置づけをなしていった。
弥生時代、古墳時代は気候が冷涼になり、人々が暖かい地への移動してゆき、この地を離れていったが、古墳時代から奈良時代にかけて、再び諏訪の平が反映しはじめ諏訪の豪族が勢力をのばしてくることにより、八ヶ岳山麓は牧場の産地に変わっていった。
戦国時代、甲斐国お武田信玄により諏訪が侵略されると、八ヶ岳山麓の道にも大きな変化が起こった。
信玄は信州越後を侵略するにあたり、佐久の棒道、中の棒道、下の棒道と、軍用路を山麓一帯に作って大群を移動させている。信玄の隠し湯が八ヶ岳山麓温泉にあることも、兵士だけでなく震源自身も入浴されたとも伝えられている。
江戸時代になり、八ヶ岳が地域の人たちにとても身近になった。八ヶ岳西山麓の高知も集落が増えるにつれ高地の開発が進み、広い土地が開拓された。
佐久側では1700年代に入って本沢温泉が開発されると同時に硫黄の採掘が始められ、人々が山中へ仕事として入り始めた。
1800年代になると山伏も歩き回るようになり、そのなかから修験者による講の人々が渡航修行し、また、村近くの山の頂に神社を分社して、山岳信仰をする人たちが増えていった。
一般登山者が八ヶ岳に登りはじめたのは、明治偉大中期にはいってからである。同じころ明治38年に日本左岸句会が結成され、明治時代の登山が絶頂期を迎えた。
明治時代から大正時代にかけては三角測量の技術者、地質学者、生物学者などあらゆる分野の人たちが入山しはじめる。八ヶ岳は他の山に比べ登りやすく、とくに研究者にとっては研究課題に事欠かなかったようだ。
昭和に入ると、研究者技術者たちだけdなく、学生を中心とする一般の山愛好家の人たちも増えるが、太平洋戦争により一時登山は下火になる。
戦後、スポーツ、観光として登山が脚光を浴び始め、送話40年代から50年代には、登山ブームとなった。その後一時期登山ブームは中休みとなり登山人口は減ったものの、2016年には国民の祝日の日として「山の日」が制定され、中高年者の健康ブームや若者のクライミングなど、2014年には9万人超の登山者が八ヶ岳を訪れている。
一方、最近では地球温高により高山植物の植生がどんどん変化してきている。亜高山体の即物が高山体まで登ってきたり、外来種の植物が突然はいってきたり、高山植物の開花が急に早くなったり遅くなったりしている。本来、山麓に住みついているニホンジカが2700メートルの山のてっぺんまで登って、高山植物を食べてしまっている。地球の温暖化の影響も八ヶ岳で顕著に現れている。
八ヶ岳山麓の中学生たちは、八ヶ岳に学校登山がずっと続けられている。登山により多くの動植物や山からの景色を、原始時代からの人間と山との関係もまた学び続けている。
参考・引用 ほろ酔い黒百合(米川正利著)第15話 八ヶ岳今昔
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